罪は永遠に消えないのか~オウム死刑に思う~

オウム真理教の麻原と数人の幹部が死刑になったというニュースがあったとき、地下鉄サリン事件のことを思い出しました。
あれから20年以上もたっているわけですが、もうそんなになるのか、という感覚と、刑が執行されるまでずいぶん時間がかかったなという思いがあります。

あの当時はそれこそ日本中その話題一色でしたが、私も関心があって、関連書籍などを購入していました。

私が一番思うのが、なぜああいうわけのわからない宗教にハマってしまう人がいるのか、ということで、あの頃も今も、その理由として思うのが「仏教やキリスト教がだらしない」からだと思っています。

本来であれば、既存の宗教が、悩んだり不安になる人の悩みに答え、導いてあげるべきなのに、それをしていないから、明確に答えをくれる新興宗教に傾倒してしまうのだと思っています。

もちろん、これは私個人の考え方なので、いろんな意見はあると思いますが、いつの時代も、迷ったり悩んだりする人たちのための受け皿は必要だと思います。

話を戻して、死刑のニュースの報道がさまざまな形でされていて、テレビを見ていて思ったのが、あの当時オウムにいた人間は永遠に罪人として見られてしまうのか? ということです。

今でも麻原を崇拝しているアレフは即刻潰してしまってもいいと思いますが、反オウムをかかげているひかりの輪に関しては、同じような扱いをされているのはちょっと気の毒に思いました。

代表の上祐は地下鉄サリン事件の頃はオウムのスポークスマンとしてメディアに出まくっていて、それでいて逮捕されたわけではないので、自然と関係者として一番目立つ存在になっていて、現在はオウムとは関係のないまともな活動をしているにもかかわらず、仲間みたいな扱いになっているのを見ると、結局、人は更生しても世間はそれを許さないのかなと思ってしまいます。

もちろん、教団幹部として活動していた以上、過去の過ちをなかったことにはできませんが、軌道修正をして、正しい道を進んでいる以上、それは認めてあげてもいいんじゃないかと思います。

ブログで書くために、憶測だけで書いてもいけないと思って、ひかりの輪のホームページを見たら、出羽三山にも修行に来ていて、ちゃんとしているようだったので、罪を憎んで人を憎まずで、世間の見方も少し変わってほしいと思いました。

今でも麻原信者はいますが、そういった間違った道に行ってしまっている人たちを、正しい道に戻すには、ただ戻ってこいと引っ張るのではなく、新しい道を示してあげるのが一番いいんじゃないかと思います。

悪いことは悪いことですが、そこからやり直して前に進んでいこうとする人たちに、当たり前のように手をさしのべることができる社会であってほしいと思います。

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