こだわりを捨てる(前編 Mac編)

誰しも多少なりとも「自分なりのこだわり」というものがあると思いますが、そのこだわりを捨てることもあると思います。
私の人生において「絶対にこれだけは譲れない」と思いながらも、ある時、あっさりとそのこだわりを捨てた、というのが2度ありました。
1度目が
「Mac以外のパソコンは認めない」
で、
2度目が
「タロット以外の占いは認めない」
でした。
前者に関して言えば、それこそ昔マイコンブーム(というのがあった)の頃に伝説の名機AppleIIに憧れ、いつか使ってみたい→LISAほしい→初代Macに衝撃を受け、はじめて購入したMacのOSは漢字Talkだったという、筋金入りのマカーでしたが、ある時期から急速にそのこだわりが薄くなっていきました。
きっかけはiPhoneの登場だと思います。私が最初に買ったのは3GSでしたが、使うまでは、画面全体にアプリのアイコンがあるというインターフェイスに懐疑的でしたが、使ってからは、ジョブズが究極的に目指したパーソナルコンピュータの形はこれだったんだなと感じ、急速にMacだけでなく、パソコンそのものに必要性を感じなくなり、さらに、あんなに使いにくかったWindowsも7あたりからだいぶましになってきた感があり、Macじゃなくてもいいや、と思うように。
もちろん今でもMacは好きですが、Macじゃなきゃダメ、というこだわりを捨てたことで、精神的に楽になりました。
誰かに言われたわけでなく、勝手に自分でMacこそ至高!とMac原理主義者になって自分の世界を狭くしていた自分はダメですね。
思えば、ジョブズだって、さんざんマイクロソフトやインテルをディスっておきながら、あっさりゲイツと手を組んだり、CPUをPowerPCからインテルに乗り換えたりと、とことんこだわりながら、あっさり過去を捨てていたのも、本来の目標は「究極のパーソナルコンピュータを作る」ということだったので、そのためならいくらでも変化することを恐れなかったのだと思います。

自分でこだわりを作って世界を狭くして、それで現状に不満を抱いている人は「こうじゃなきゃダメ」「これでないとイヤ」という考えを捨ててみてほしいと思います。
手放すことで生まれる感情は、否定ではなく、肯定です。

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